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その日、降谷さんに会ったのは建物の正面玄関前でだった。ずいぶん珍しいところで会うものだなと思ったが、そもそもにして珍しいのは私がここに居ること自体だろう。いつも利用する厨房直通の裏口が本日はなにがしかの点検で通用不可になってしまったのだ。なにがしかがなんであったかは、社会人にあるまじき事であるが忘れてしまった。三日ほど前の申し送りで伝達された事だったが、しかし私の頭は今、夜勤明けの疲労困憊で全く使い物にならないのである。思い出せない。まぁ、いつも使い物にはなっていないけど。一つ言い訳をさせてもらえるなら大切なのは扉が使えない事であってどうして使えないかじゃないってことだ。私は使えないことだけはちゃんと覚えていて、迷惑にならないようこうして正面玄関を使って居るのである。誰か褒めて。
とはいえ、きょとんとした顔でこちらを見つめてくる降谷さんに
「こんにちは、降谷さん」
なんて時節もへったくれもない挨拶をかましてしまったことから、頭の無能具合は頑張ったところで隠せない。今は朝だよ、私。
降谷さんはちょうど出勤したところなのか、しかしそれにしてはなんだか奇妙にくたびれた顔で「ああ、おはよう」と正しい挨拶を返してくれた。私と違って頭脳は正常らしい、とても疲れて居るようだが。目元のクマさんやばくない?
「……今日は日勤じゃなかったのか?」
首を傾げて問いかけてくる降谷さんは、通行人の邪魔にならないよう私を連れて上手に人の波の本流から外れた。その所作といったら驚くほどに華麗でスマートで、一体なんの修練を積んだらそんな技能が身につくのだと問いただしたくなった。もちろんそんなことはしないけれど。
「勤務、変わったんです。都合が悪くなったそうで」
「じゃあ、帰るのか」
「そうですよ」
降谷さんは今からご出勤ですよね、と目線を彼と建物との間で往復させるが、しかし彼の返事は真逆だった。
「わかった、僕も帰ろう」
え、なんで?
今度はこちらがきょとんとする番だった。だってこの人今から出勤するんだよね?だからここに居るんだよね?そんな友達が帰るから自分も帰りますみたいな、行きたくないから今日仕事休みますみたいな。子供か、あなたは。そもそも私と降谷さんはお友達でもないし、どちらも立派かどうかはわからないが(多分降谷さんは立派な)社会人のはずだし、だとすれば社会人の義務の一つ勤労を果たさなければないのではと思うのだが、私が間違って居るんだろうか。私はそういうわけでたった今義務を果たしてきたばかりなのだが、降谷さんは??え???そんなことが許されていいのか、ずるいぞエリート。
いろんな気持ちが入り乱れたまま、結局言葉にならずじっと降谷さんを見つめていた。彼は何故だかちょっぴり嬉しそうな顔で私の手を握った。
なんでだよ。



全く意味は分からなかったが、しかし降谷さんは本気で帰る気だったらしい。あのあと、くるりと踵を返し建物に背中を向け、きびきびと歩き出したのだ。あろうことか手は握られたままである。冗談だろ?
まぁちっとも、全然冗談じゃなかったんだけど。
そんな私たちは現在公園にいる。
公園である。これも冗談だろと言いたいが悲しいことにまたも現実だった。夢でも幻でもない。
大の大人が、朝から二人で公園にいる。あいにくブランコやら遊具の類には触れずベンチに腰掛けているだけだけど、それでも十分シュールすぎる光景だった。登校途中の小学生でさえ目線を寄こさず気遣ったほどである。すまない小学生。
しかも二人のうち片方は、貪るようにおにぎりを食べていた。おにぎりである。雑に握っただけの、米の塊である。握りこぶし大の。
なんだろう、この人ちゃんとご飯を貰えていないお家の子供だったのかな、まさかそんなわけ。
そんなわけないと思いたいけれど、それでもそう踏み込んで聞ける間柄でもなく。私にできることといえば黙っておにぎりを食べる降谷さんを見守ることだけだ。
「………」
「………」
この無言がいつまで続くのか。そんなのはわかりきったことで、少なくとも降谷さんがおにぎりを食べ終わるまで続くのだろう。近くの自販機で買ってきた緑茶で流し込むこともせず、ひたすら白飯の塊を咀嚼し続ける降谷さんは何かの病気かもしれない。あるいは妖怪白飯貪りか。いや、白飯だけじゃないぞ、私の大好きな梅しらすご飯もおにぎりになってるんだよ、どうでもいいけど。大葉を刻んでまぶすとさらに美味しいんだ、本当にどうでもいいことしか思いつかないな、私。
そうだ、そんなことより顎大丈夫かな、嚥下障害とかここで発症しないかな。初めに存在していた、この人におにぎりをあげてしまったら私の本日のご飯が、なんて心配はとうの昔に消え去った。持ち帰る予定だった、自分用に握った適当なおにぎりで何か問題が起こる可能性の方がよほど心配で仕方ない。
「……そんなにお腹空いてたんですか」
びっくりして喉に詰まらせた、なんて言われないよう、そっと控えめに声をかける。降谷さんは口に入れたままの米粒を飲み込んでから短く「ああ」と答えた。最後の一口を放り込み、ラップをまとめてビニール袋の中に戻す。
「じゃなきゃ食堂に行こうなんて思わないだろ」
結局食堂へは行かず、公園でおにぎりを食べたというのに何を言っているのだろう、この人は。支離滅裂もいいところだ。律儀にごちそうさま、と手を合わせる降谷さんをぼんやり見つめながら、私は自分のご飯を考える。冷蔵庫の中には何が残っていたっけな。
「悪かったな、君の食事を奪って」
「いいえ、大丈夫です」
降谷さんの腹の虫がへんなタイミングで鳴いてくれたせいで公園のベンチで朝から大の大人二人、なんてシュールな光景になってしまったわけだけど、これはこれでなかなか得難い体験だった。面白かったので全然問題ない。珍しい体験はお金を払ってもするべきだって、どこかの誰かが言ってた気がする。
だれだっけ?
そしてはたと思い至る。
こんな珍しい状況ならば、ガチャを回すべきじゃないのか。残念なことにオタクという生き物はどこでもガチャを回したくなる生き物なのである。今なら推しが出るかもしれない!そんな気持ち。出る確証はない。
「降谷さん」
「ん?」
開封されて以降、おにぎりに負けて一つも相手にされなかった緑茶パックを煽る降谷さんは首を傾げた。
「これ、これをお願いしていいですか」
迅速にアプリゲームを起動させ、ガチャ画面を立ち上げる。対象のピックアップ画面に切り替えて、指先で十連の部分を指し示す。降谷さんはどこまでも怪訝そうな顔をして、しかし静かに十連ガチャを実行してくれた。手慣れている気がするのは気のせいだろうか。
画面はネットワークに通信を始め、滞りなくガチャ結果を表示する。
期待をしてなかったといえば嘘になる。期待しないなら、物欲センサーなんて俗説を信じて何も知らないだろう他人に決行させたりはしないのだから。とはいえ過度な期待をしていなかったのももちろん事実で、結果が惨憺たるドブであったとしても苦情を言うつもりなどなかった。
なかった、のだが。
「………まじかぁ」
「何が?」
携帯画面を見つめてしばし硬直する私を不審に思ったのか、降谷さんも画面を覗き込んだ。ひどく近い距離でこつんとくっついた頭が妙に乙女ゲーくさいとか、そんなことはどうでもいい。良くないかもしれないけど。ちょっと距離近いなって変な気分になるけど、そんなことはどうでもいいんだ。だいたい乙女ゲームは範囲外。初めてやった乙女ゲームはまさかの十八禁だった。笑えない。
「……最上級レアが、四騎、出ました」
「………ふぅん」
思わず向き合ったその顔には、だからどうしたと書いてある。殴っていいだろうか。この人はこのゲームの悲しいからさを知らないからこんなシラけた対応が出来るのだ。これが家だったら私は「あーッ!!!!!」しか言えない人間以下の怪物になっていたこと間違いなしだと言うのに。この最上級レアを一騎出すために毎月家賃以上の課金をし、クレカキャッシング額を満額まで借りこんでひいひい言う人間の存在なんてこの人は知らないんだろう。そもそも降谷さんてソシャゲやるのかな、やらなさそう。
「すごい、降谷さんすごい。でもずるい、ひどい」
最上級レア四騎。
こんな結果、なかなか有り得ない。
世の中はやっぱり、きっと不公平だ。
「いや、俺は何もしてないだろ」
ぢゅー、とパックの中身を吸い込んで凋ませると、降谷さんはそれをそのまま少し離れたところにあるゴミ箱めがけて放り投げた。綺麗な放物線を描いて吸い込まれたパックを見つめながら、神様はこの人に一体何物与えれば気がすむのだと地団駄踏みたくなる。
顔、エリート、運。
おのれ、ちくしょう!最低でも三物は持ってるじゃないかこの人!!世の中不公平!!!
「そうですけど、……そう、なんですけど………!」
果たしてなんと言葉を紡ぐべきなのかわからなくなって、嗚呼そういえば、私はまだこの人にお礼を言っていなかったと思い出す。
「…とにかく、ありがとうございます、降谷さん」
「うん、何もしてないけどな」
「それでも。私は今、とっても幸せです」
今後のキャラクター育成を考えると頭の痛いところではある。素材集めと経験値集めに周回という修行が待っているのだから。とはいえ、前々から欲しかった年に一度しか会えないピックアップキャラが出たし、とんでもない十連結果もスクショ出来た。釣果は良すぎると言っていいだろう。今後が怖い。もう今後最上級レアは出ないかもしれない。
締まりのない、だらしない顔で私は笑っているのだろう。とはいえオタクなんてそんなものだ。推しが画面に写ればぐへへ、と珍妙奇天烈な笑い声をあげ、ガチャ結果次第では天変地異起こし、グッズ回収に勤しんでは自己破産寸前まで己を追い込んだりする生き物なのだから、こんな顔と感情とが些か緩んでいることくらい大した問題ではない。

「………そんなことで、君は幸せなのか」

降谷さんはポツリ、そう零した。
まっさらで何も色のない表情だった。それが、ゆるりと。雪が溶けるように、柔く時間をかけて崩れて。
「安いやつだなぁ」
とても、幸せそうに、笑った。
たかがガチャ結果、そう思ってるんでしょう、なんて。その笑顔に向かって私は言えなかった。

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