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男は、名を降谷零というそうだ。
職業は綺麗なヤクザではなく警察官。それも警察庁公安部の警察官だそうで超エリート中のエリートだった。世の中は何かが間違っているのでは無いだろうか。きのせい?
「あれ、最初に説明されなかった?」
なんて可愛らしく吉川さんは首をかしげるけれど、そんなこと私は一つも聞いていない。私がここを紹介されたのは親戚筋のコネだし、採用された理由は調理師免許の所持と友達がいないという二点である。同意させられた取り決めはといえば、職場での出来事を一切口外しないこと、職場で見たり覚えたりした人物は誰であっても外で話しかけないこと。他人のフリをすること。できなきゃ逮捕しちゃうぞ!って昔の漫画かよ。
もちろん書面にはこれが回りくどく、難解な文章で書いてあった訳だけれど、つまり意訳すればそういうことだ。世の中の書類って、なんであんなに簡単なこと難しく書いてるのかな?嫌がらせ?これも理解できないお前に務める資格は無いって?ふつうに酷くない??入社試験より難しいわ。
あの男の名前が降谷零で、なおかつエリート中のエリートなのに妙な因縁つけてくるなんて、そんな親切な説明は無かった。誰か教えてくれよ。
それをどうして吉川さんがご存知かといえば、そこはそれ、女の噂話好きが高じたというお話である。おもに酒井さんたちおばさまのレーダーがハイスペックすぎるだけなのだけど。高ステルス性の索敵能力持ちなの?羨ましすぎる、私もほしい。不意に先日始めたMMOのレイドボスが脳裏をよぎったが、慌てて消す。追尾機能付きの爆散弾に瞬殺されたことは忘れよう、今度は装備をきちんと揃えて殴りに行く。
「それで、降谷さんがどうしたの?」
カッコよくて惚れちゃった?なんて聞いてくる吉川さんは本日も最高に可愛いけど、聞いてくる内容はちっとも可愛くない。
え、降谷さんてカッコいいの?どのへんが?顔がいいだけの間違いじゃない?だって死ぬほど怖かったよあの人。ヤクザの間違いでしょ??
なんなら次の日、私は五体満足に起床できたことを感謝したくらいだよ。ガチャ結果が相変わらずのドブで暗澹たる気分でふて寝してたけど、それでもジーザスと存在不明の神を仰いだのだ。決して、ガチャ運もっとくれよなんて唾を吐いたりはしていない、多分断じて、きっと。
「いえ、向こうは私のことをご存知のようでしたので」
「あ、それ私が教えたの」
なんてにっこり笑う吉川さんは可愛いけど、後生だ、今だけその可愛い顔面をびんたさせてくれ。
「え、なんで」
「食堂のご飯が美味しくなったっていうから。新しく入った子が作ったんですよって」
「私じゃない日もあるのでは」
職場はシフト制で、休みは変則的、業務もその日の分担が事前に割り振られていて日によって役割が違う。調理担当のこともあれば仕込み担当のこともあるので、毎日私が作る訳ではない。だというのにどうして私の名前を挙げたのか。適当に推挙されたのだとすれば本当に吉川さんを嫌いになりそうだ。可愛いけど、そのせいで先日は怖い目に遭ったし意味不明の宣戦布告を頂戴した。思い出してもちびりそう。

「降谷さんが美味しかったって言ったメニュー、全部担当があなただったのよ」

くすくすと上品に笑い、頑張ってね、と残して吉川さんは休憩から上がった。
私は何を頑張ればいいんだろう。民間人がヤクザに勝てる可能性など推して知るべしだろうに。あ、ヤクザじゃなかったんだっけ。



情報を補足しておくと、降谷さんはとても忙しい人だそうだ。机の上には決済待ちの書類が山を連ね、勤務は長時間に渡り、警備員の三交代を三セット見届けることもあるとか。なにそれ労基違反じゃない?かと思えば職場に姿を見せない日もあるそうで、しかしその場合は別の職場があるとかなんとか。
なんなの?二重生活でも送ってるの?ドラマかよ。ていうか不確定情報だらけでわけがわからない人物像が出来上がった。
まぁ現実にそんな話がなければドラマにも作り話のタネにもならないのだからそんなものか、と深く考えるのはやめた。
なにが言いたいのかといえば、彼がこの食堂を利用することなんて、そう頻々とはないだろうということ。というかそんなに忙しくてどうやって食堂に来られるんだよっていう話。
であればあんな風に怖い目にあうことも当然、そうないはずなのである。
そう、思っていたのに。

「今日の唐揚げもお前らしいじゃないか………」

スーツのポケットに手を入れて、不機嫌を隠しもしない降谷さんがそこに立っていた。
そんな親の仇と対峙したかのような鬼の形相はやめていただけないだろうか。苦々しく顔を歪めた彼からは、ぎりり、と奥歯を噛みしめる音が聞こえてきそうだ。
「今度はなにを入れた」
そんな私がいつも危険物を入れているかのような発言はやめて欲しい。しかもかなり危ないもの入れてる感じじゃないか、可食物以外は入れていない。というかそんな危険物は厨房に存在しない、してたまるか。
舌打ちとともに、隠し味は味噌か、と聞いてくるこの人はもしかして隠し味というものの存在を味噌しか知らないんだろうか。だとしたらとても可哀想な人だなと思うけれど、だからどうしたという話でもある。そんな理由で私を糾弾されても困るのだ。
「別になにも入れてませんけど」
「生姜、にんにく、醤油、みりん、酒。さぁ、他になにを入れたんだ。吐け」
吐けるか。
私は今絶賛空腹加減マックスなので胃袋の中に吐き出せるものなんて何もない。わかってる、この人が言いたい事はそういうことじゃないって知ってる。些か腹立たしく、なんだよキャリアやエリートってそんなに偉いのかよこの野郎、なんて気持ちになっただけだ。もちろん面と向かってそんな言葉を返す勇気はないのだけど。いや、その前に吐けるほどのものを入れてないというか。
「………………れ」
「は?」
給水機の横に未使用のコップを補充しながら答えると、またなんとも不機嫌な声が返ってきた。分かっているとも。私だってそのように作ることが正解なことくらい知っている。だけど今日は仕方がない事情があって、なくなく断念したのだ。冷蔵庫にはニンニクも生姜もちゃんとあったとも。だがそんなものよりも重大な問題児が転がっていた。
「焼肉のたれです!」
「………………」
降谷さんは片手で顔を覆うと無言で天井を仰いだ。おおジーザス、なんて言葉が聞こえてきそうな光景である。多分降谷さんは言わないだろうけど。
それからぽそりと、形の良い唇から言葉が漏れる。
「………世も末だな」
いや、貴方みたいな怖すぎる人間が警察官という事実の方が世も末だ。とは生憎返せないので別の言葉を返しておく。
「使用期限が、あって」
廃棄処分するには分量が多すぎて勿体なかったのである。しかし残念なことに日替わりメニューにしばらく焼肉はないし、通常メニューにも焼肉など存在しない。どう体良く使ったものかと思案した結果、唐揚げの下味になってもらったのだ。いや寧ろ上手に使ったなって誰か褒めてくれない?そもそも使えるのに捨てちゃうとかもったいないからね!!
繰り返し言うが私だって普通の唐揚げが作りたかった。
主要成分は大差ないので問題なかろうと思ったのだが、まさか本日降谷さんがよりによってお越しくださるとは微塵も予測しなかったのでこんな事態になってしまった。おお、ジーザス!!乗り越えられない試練を神は与えたもうた。あ、神って存在したんだ、最低。
いつのまにか手持ち無沙汰になったので仕事を求めて歩き出す。するとどうしたことか、後ろから降谷さんがついてくる。あれ、突然冒険始まった?即刻終わりそうな、矮小なスケールの冒険の予感しかしない。そもそも主人公枠は顔的に降谷さんだろ。
猛烈に突っ込んでみてもそれは所詮脳内のことだ。現実は私の後ろをただ静かに、降谷さんが付いてくるだけ。意図がわからない。なんの思惑があるんだ。後ろから刺されるの?私がなにをした。
ピーク時が過ぎ去り、閑散とした印象を受ける食堂の客は出入り口付近に三人、中央部窓際に四人。それ以外は降谷さんだけだ。といっても降谷さんは既に食後のようなのでもう客を卒業しかけて居る。仕事に忙殺されそうだと言われる彼が、こんなところで油を売って居る暇などあるのだろうか。連なる書類の山々の噂は嘘だったのか?
全然ちっとも、なんとも思わないけれど、ほんの少しだけ。心配になったら思わず口から言葉が溢れていた。
「降谷さん、お仕事はいいんですか」
忙しいそうじゃないですか、と続ければ彼は目をまん丸く開いて私を凝視した。その表情はなんだか妙に幼くて、彼の顔立ちと相まって可愛らしさすら感じる。初めて、彼に怖いだとか嫌な客だとかいう負の感情以外が芽生えた気がした。
「区切りが付かなきゃ来ないさ」
薄く笑ってそう答える彼に、ああ真面目な人なのだなとも思う。だとすれば私の発言は余計なものだったのだろう。よく知りもしないでいいお世話もいいところだ。
そうですか、もすみません、も返答としては不適切な気がして思わず黙ってしまう。余計なこと言わなきゃ良かったとひどい後悔をした。
私のおかしな空気を感じ取ってなのか、それともそうではないのか。降谷さんは「また来るよ」と言って食堂を出て言った。不敵な笑みに
「次こそはお前が何を使ってるのか当ててやるからな」
と、付け足して。
いや、だからそう大したものは使ってないんだけれど。けれど、今度降谷さんが来るときには。
今日ほど嫌だとか、最低だなどとは思わない気がした。

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